毒親と縁が切れなくて泣きそうだよ

遺産を残して死んでくれ

何故かいつもイジメのターゲットになるのですよ

最初のイジメられ体験。

幼稚園です。初めての社会参加で、いきなりです。

 

素手で殴る蹴るされてる間は我慢してましたが、武器(コップ)で殴られた瞬間にブチ切れ、一瞬でボコり倒したのをはっきりと覚えてます。

イジメをスルーしてた幼稚園教諭たち、さすがに私を怒るわけにもいかず、腰抜かして泣きじゃくってたイジメ野郎をたしなめてました。

そして、うやむやにされました。

 

その後の小学生時代前期はイジメられませんでした。

男子とサッカーばっかりやってたから(笑)

そのせいで女子とは喧嘩にはなりましたけどね。

 

「どうしてあんたばっかり男子と遊んでるの! ズルい!」

「仲間に入れてって頼んだんだよ! 遊びたきゃ自分で誘え! 頼め!」

 

で、サッカーに夢中な男子組と、男女混合ドッジボール組に分かれて解決。

とまぁ、一見平和だったんですが、家のほうが大変なことになってまして。

完全に、離人症を発症してました。担任が気付くレベルで。

そして通信簿にその旨が書かれていたにもかかわらず、家の大人共は総スルー。

父親、医者。

母親、看護大卒で専攻は精神科で心理学博士になるために大学院に入るつもりだった。

お前ら、なんでスルーした。気付けよ。

弟妹たちは、小学校低学年で既に非行に走ってましたね。

私はサッカーしてるか、喧嘩自慢の男子に喧嘩売って回るか、どっちかでしたw

喧嘩無敗の最強男子と一騎打ちしたんだゼ! 引き分けた! 俺、強い!

そんなことをしつつも、毒母が毒祖母に張り合って母屋にばっかりかまけて家のことをしないので、家事の大半を担ってましたが。

だから、サッカーも喧嘩も午後4時まで。お買い物に行かなきゃだから。

 

そんでまぁ、母屋の糞がガス栓全開にして火を付けたりとかどうしようも無くなり、弟妹の非行はエスカレートする一方、ということで、突然の引っ越し。

 

小学生時代後期が始まる直前に、悲劇。性暴力被害に遭う。

被害から初登校まで、2日。犯罪現場、転入先の小学校の校庭。

青タンだらけで始業式、引っ越しの自己紹介。

そんな感じで小学生時代後期が始まるわけで。

……この状態でさ、クラスに溶け込むとか馴染めるとか、できるの?

もう、学校という場所が恐怖と嫌悪の象徴なんですけど。

 

転入したのは3学期開始のタイミングで、その時は特にイジメはありませんでした。

方言でからかわれたりはしましたけど。

 

そして、学年が上がってクラス替えがあって、イジメ本番開始。

首謀者は3人だったことが判明しております。

私とほか二人以外が、ひとつのグループになりました。

えっと、だから、敵は17人だったかな。

始めのうちは、わざと聞こえるようにあることないことぶち上げたり、物を移動させたり隠したりと、その程度でした。

そのくらいなら、屁でもねぇんですが。

ある時、階段のてっぺんに足をかけた瞬間、集団体当たりを喰らいました。

4人くらいだったかな。塊になって、ドカンって。

落ちてたら、運が良くて骨折、普通なら障害が残るような損傷、運が悪ければ、誰か死んでる。

そう、落ちてたら。

落ちなかったんです。いつも身の危険を感じていたので、手すりに張り付いて階段昇降していたので、咄嗟に手すりを掴んで受け止めて支えたのです。

 

ちなみにこの記憶、10年ほどパンドラボックスフリーズドライで保管されてました。

思い出したのが、ハタチの誕生日です。

大学へ向かう、山道の途中でした。

部室で先輩後輩全員がビビって震え上がるほど、荒れ狂いました。てへ♥

 

それから、ひそひそ話が耳に入ることはなくなりました。

物が移動したり、隠されたりすることもなくなりました。

その代わり、火のないところに煙をもうもうと立ち上げて、他のクラスにまで碌でもない話を吹き込んで回ったようです。

例はひとつしか知りません。

 

「Aってさ、大学生とか会社員とか、大人の男とヤりまくってるんだよ。何十人もだよ」

 

授業参観のあと、他のクラスの親御さんから「●クラスのAさんがずいぶんひどい虐めに遭ってると聞いたんですが」という話が出る程度には、やられていたようです。

 

担任「そのような事実はありません」

懇親会後の毒母「ウチの娘が登校拒否になったら訴えますからね!」

 

……なぁ、親よ。

味方に引き込むべき担任に喧嘩を売ってどうするつもりだったんだ?

つーかさ。登校拒否になる前に手を打てよ。娘が壊れるまで放置プレイか。

 

このあと、当然ながら担任公認のイジメに発展し、既に詳細は記憶にない。どうやっても思い出せない。

ただ、ひたすらに無抵抗を貫いていたことだけは覚えている。

トイレで囲んでくれたら楽だったんだけどなぁ。取っ組み合いしたことない女子なんか、何人いてもボコれたのに。

地下に潜られたら、独りじゃどうしようもない。

 

そんな感じでクラス持ち上がりで進級した夏休みの前後。

あまりの無抵抗っぷりに「Aって、●●たちが言ってるようなヒトじゃないんじゃない?」とグループでも端の方の連中が交換日記(そういう時代でした)でやり取りをしていたらしい。

それをうっかり廊下に落とし、拾った担任が「このような事実はありません。誰も虐められてません。わかりましたね」と脅しととかなんとか。

 

なんでこんなことを又聞きとは言え知っているかと言うと、淡々と登校し、真面目に授業を受け、休み時間には一人静かに読書に励む。

その姿と「噂」が噛み合わない、おかしい、と感じた中心勢力から外れたグループが、前述の「大人の男と〜」を例に上げて「本当にこんな事してるの?」とぶっちゃけに来たからです。

 

「……? ……それ、どこのAさん?」

 

はい。素で返しました。いやだって、そんなの自分のことだと思いませんよ。

男性恐怖症でしたからね。特に大人の男はダメでした。視界に入るだけで硬直する。

この瞬間、勢力図がひっくり返りました。

翌日から私はクラスの中心人物になり、虐めの中心だった3人が無視されるようになりました。

オートマトンだった私は、いくつかの事実確認をしたあと、つい昨日まで敵だった連中の謝罪を受け入れ、和解することにしました。

味方じゃなくていいの。敵じゃなければそれでいいの。

これが、小学6年生の2学期の出来事でした。

 

そんな感じで表面上は水に流すことにしましたので(無論、許したわけではない)持ち上がりの中学では問題は起こらないと思っていたんですが。

 

すっげー仲良くしてた、親友だったはずのヤツが、ある日突然、仇敵に。

いやもう、わけがわからんかったよ。

突然、全方位から無視されるんだもの。村八分

とはいえ、既に経験済みのこと。考察する余裕を取り戻すのは早かった。

 

その元親友の仇敵、コンプレックス多い子だったのね。

つか、そいつが「こんなの嫌。もっとああだったら、こうだったら」ということの殆どが、私にとっては羨ましいことだった。

だからいっつも「えー。じゃあ頂戴。私にそれちょうだい。私はそれが欲しい」励ますと言うより、マジで言ってたんだわ。

そしたらある日突然、ヤツに自信が芽生えた。

すると、目障りなのは何か。

 

情けない姿をたっぷりと見せた、私。

 

で、即座に排除に動いたと。そういうわけなのでした。

これもすごかったね! 学年中にあっという間に広がったね!

小学校から持ち上がりが8割を占める中学だったから、下地は出来てたしな!

 

でも友達はいたんだ。

学内屈指のヤンキーたちと、生徒会の連中。

どっちも「普通」の生徒たちからは敬遠されるから、仲良くできた。

そのせいで噂が加速して、学年内でとどまらず、学校中に広がってしまった。

 

「裏で総番張ってるのはAさんッスよね!」と。

 

ちげーよ! 上下関係なんかねーよ! 対等な友達だよ!

そして、この頃から私にビビる大人たちが現れ始める。

学内屈指の虐められっ子にして優等生にビビんなよ、教師。

かわいがってくれる先生もいたけどね。アル中とか学内不倫略奪婚とか、問題だらけの教師たちだったけど(笑)

 

高校は、ミッション系の私立女子校。そして指折りのお嬢様学校。

ここではね、生徒には虐められなかった。何故ならば、非常に貴重な珍獣だったから。

学年の半分は、中学からの持ち上がり。残り半分は、家柄を厳選した指定校推薦。

そして10名ほどの、外部一般入試組。

そう。一般入試組だったのです! モテモテでした!

モテすぎたあまり、セレブを超えるハイソサエティなグループに拉致られ、ペットにされましたが。

そのせいで珍獣価値がますます上がり、更にモテるというスパイラル!

それが気に入らない副校長(修道女)にめっちゃ嫌われてました。

てゆーか、多分、虐められてた。と、思う。

この頃には虐められすぎて感覚がおかしくなっちゃってて。

 

敵はひとり? ならイジメじゃないな。喧嘩だ。よし、買ってやる。

あいむうぃなー。イェーイ!

 

なんかね、絶対に逆らっちゃダメとか、怒らせちゃダメとか言われた相手なんだけど。

こっちはちゃんと教師たちに敬意を払ってるのに、難癖つけて喧嘩売ってくるんだよ?

これ、買えって言ってるよね? 売られたからには買うのが礼儀だよね?

てことで、喧嘩としてカウント。イジメではありませんでした。

 

まあ、なんか、割と偏った思想の持ち主で、独善的で、副校長という権力があるだけにちょっと問題もあったみたいで。

「ふふ。大変ね」と笑いかけてくるシスターとか「あなたは素晴らしい方よ」と絶賛してくれるシスターとか、パワーバランス的にはカオスな高校時代でした。

 

大学。

部活がカオス。

ここでも虐められてたらしいんですが、教えてもらうまでまったく自覚がありませんでした。

部内でもアンタッチャブルな恋愛四角関係。

そこに知らない間に巻き込まれていたらしい。

 

「お前、偉いなぁ。あんなにイジメられてるのに耐え続けるなんて。何だったら部長権限でなんとかするぞ?」と女人禁制飲み会で言われまして。

思わず「え? イジメなんてあるんスか? 皆仲いいッスよね?」と問い返してしまいました。

そう。相手は全力でイジメていたのに、私は気にかけてかまってくれる優しい先輩だと思っていたのです(大笑)

だってさー。部活動のあと、色々吹き込んで他の部員と仲良くさせないようにする、てのがそのイジメの手口だったんだけど。

男5:女1の部活で、私だけ毎回女人禁制飲み会に参加してるんだもん。

先輩の全力、全く意味ナシ。

何故私だけが女人禁制飲み会に参加していたのかといいますと。

 

「お前が女なのはガワだけで中身は俺らと同じだからな」

 

というのが理由でございます。

数少ない女子部員のスリーサイズとカップサイズを目測して楽しんでました(ヲイ)

それは置いといて。

「大丈夫か? 無理してないか?」と同志達がとても心配してくれましたが。

相手がひとりなら、ただの喧嘩です。

押し売りしているとわかったからには、買わねばなりません。

 

「全然オッケーっす。近々、片付けますんで」

 

勝負開始。

五秒経過。

あいむうぃなー。

 

翌日、先輩が涙目で「Aちゃんに嫌われたぁぁぁーどうしよぉぉぉ!?」と部員に泣きついて回ったらしいです。

皆、自業自得だと半笑い。

 

虐めではありませんが、大学時代のカオスはここからが本番でした。

そう。ストーカー。

しかし「ストーキング」という概念が輸入される前の時代です。

更に、私にとって不利なことに、非常に男にモテるヤツでした。

色々ありました。大変でした。味方がいませんでした。

ギリギリのところで、ストーキングの概念が輸入されて、敵が味方になりました。

その頃にはヤバすぎて見守るだけで精一杯、て感じでしたが……

まぁ、あれやこれや、なんだかんだで、なんとかしてなんとかなりました。

虐めより怖いよ! 「男女関係」はダメなんだよ! PTSD直撃なんだッ!!

あれほど死力を振り絞ったことはない。

 

就職してからもパワハラとかモラハラとかセクハラとかあったけど。

高校以降はノーカン。

なんかね。敵が5人以上なら虐め、それ以下なら喧嘩、という変な感覚になってて。

敵がひとりで他が味方してくれるなら、喧嘩を買う必要もないしなーとか。

大人になるとさ。見てくれるヒトはちゃんと見てくれたから。

それで充分だなって。そう思うようになっていった。

 

アレだ。女王蜂タイプ。

そいつらにタゲられるんだわ。今風に言うとマウンティングだったんだろね。

普通は女王蜂同士でドンパチやるんだろうけど、こっちはやる気ないから。

一方的なイジメに発展してしまう。

相手は自分の座を奪われると信じ込んでるから。

あと、女王蜂に見えるのに独りで平然としてるのも気に入らないらしい。

蜂だけに群れないと許せないらしい。

 

あー……これ関連で侮辱されたこともあるな。

そのあたり、病気も関係あるんで、またいずれ。