毒親と縁が切れなくて泣きそうだよ

遺産を残して死んでくれ

にんにくとじゃこのふりかけ

ふりかけの消費が激しいので、節約のために手作りはじめました。

にんにく大好き。魚介類はエンドレスで食べられる。

米とふりかけ、ビタミンサプリで生きてます。

 

・ふりかけ材料

じゃこ 80g~100g

にんにく 2個(丸ごとです・笑)

すりごま 大さじ2

青のり 大さじ1

ごま油 適量

A)砂糖 小さじ2

A)醤油 大さじ2

A)みりん 大さじ1

A)酒 大さじ1

 

・作り方

Aを混ぜて調味液を作っておく。

にんにくを粗みじんにして、ごま油で軽く色目が着くまで炒める。

じゃこを投入して更に炒め、調味液を入れて水分が飛ぶまで炒る。

火を止めてから、すりごまと青のりを入れてよく混ぜる。

冷まして密閉容器に入れて完成。

 

七味や一味を入れたり、干しエビを追加しても旨いです。

甘みは酒をみりんに変えることで追加できます。甘くないほうがいい場合は、砂糖を入れずにみりんと酒を追加してもよし。

 

のりたまも作ったけど、こっちの方が好きだな。

 

セルフネグレクト悪化中

どうもお久し振りです。あゆむです。

 

タイトル通り、セルフネグレクトが止まりません。

食事とお風呂が恐ろしいことになっていますが、それが可愛らしいと思うほど、お薬事情がヤバくなっております。

 

たまの更新が途切れる前は、薬の残りが二~三日分になったら貰いに行っていたのですが。

薬がなくなってから一週間位しないと動けなくなって、もう三ヶ月程でしょうか。

薬がない期間の睡眠時間は、合計で十時間くらい? もうちょっと寝てるかな。うたた寝だけど。

睡眠不足と離脱症状で身体が冷え切り、気持ちの悪い冷たい汗でぐっしょりです。

 

頭痛と吐き気と目眩と。

 

それでも布団の中で丸くなってるのは、心も身体も毒の住む所へ足を向けたくないからです。

状況や症状としては良くありませんが、解毒としては一歩進んだかな、感じております。

 

我慢して我慢して、とことん堪えて毒の所へ顔を出して会話してた訳でして。

ようやく、それをやめられたのですよ。

「親の言うことは絶対であり従わねばならない」という洗脳が強烈過ぎて「親の言いつけを守らない」というとても簡単なことに苦労しているだけです。

薬で正気になると「言いつけを守らねばならない」という考えがムクムクと湧き上がってきて、それをねじ伏せるのが大変です。

発作が減るのはありがたいけれど、根本的な改善には程遠いのが現状なのです。

薬を飲んでも飲まなくても狂ってるな、と思う次第です。

 

親の言いつけを破るなんて、思春期や反抗期を通り過ぎれば当たり前のことだろうに。

実際、弟妹の三人はそうしてますからね。

そして、毒はご機嫌でそれを受け入れる、と。

 

わたくしがうっかり同じことをすると、叩きのめすべく奮闘するのが毒親クオリティ。

そうならないように話題を選び、ご機嫌を装って会話するのに疲れ果てました。

 

対人や対面で本気で笑ったことないからね。

笑ったほうが良い場面では楽しそうに声を上げ、満面の笑みを浮かべて見せますけど。

「そうするのが相応しい」と理性で判断して、演技してるわけで。

たまに判断を誤って「何故そこで笑う」と他人を不機嫌にしてしまうこともありますが。

 

ようやくね。

こういう諸々に対して、疲れるからやりたくないと思えるようになったのですよ。

 

表情や声の調子を作ること。

感情を装うこと。

他者にとって心地よく振る舞うこと。

 

ある程度ならば、円滑な人間関係を構築するのに必要なことだと思います。

でもさ。

自分を丸ごと無視して殺してまですることじゃないよね。

 

 

お前は人間じゃない。

一家に一台あると便利な存在だから。

 

言葉で。態度で。

物心付く前から、成人して社会人になっても。

教え込まれ続けて、そのように扱われ続けて。

本当に言われてました。それはもうご機嫌な様子で。

 

「一家に一台お姉ちゃん」

 

うん。人間に対する言い草じゃないね。家電かよ。

 

人間らしさ、プリーズ……

 

 

お勤め完了〜

なんか連投してますけど。

毒にね。顔を見せに行かないとダメだったからね。

色々とこう、精神のバランスがヤバイんですわ。

 

眠剤セットを飲んでも全く眠気が訪れず、完徹。

ゴッキー退治を書いてる時に発作が来て、助けて頓服!

 

一旦発作は落ち着いたものの、なかなか腰を上げられず、グダグダしてたらまた発作。

頓服、助けてー!!

 

それからずーっと、手首を切りたい病がやんわりとまとわりついて離れません。

まだまとわりついてるよ。いい加減消えてくれ。消耗するから。

 

で、顔を見せに行ってきたわけです。

やっぱ、消耗するわ……

 

なんか、二人ほど手術するらしいですな。

ひとりが目で、もうひとりが腹。

 

身体の病気はいいよねー。理解を得やすくて。

薬出されても「ちゃんと飲まなきゃダメよ」って言ってもらえるもんな。

 

これが精神科になった途端、甘えだとか根性が足らんとか。

薬に頼るなとか。麻薬と同じだとか毒だとか。

 

薬は確かに毒ですよ。

そう。全ての薬が毒です。身体の薬も毒ですから。

 

ウチの機能不全家族のふたりは、今抱えている問題に加えて、更にいくつかよくなるところが出てくるというお得な手術らしい。

 

なにそれズルい。

 

あ、全然関係ないんですが、マルチビタミン+ミネラルのサプリメントを飲み始めました。

毒には「1日1回か2回は食べてる」て言ってるけど、ここんとこずっと、3日に2回くらいの食事頻度なんだよな。

 

米。ふりかけ。

以上。

 

ゴキブリも栄養失調になる食事です。

 

流石にそろそろヤバイかなー。でも料理する気力ないし。つか、料理以前に買い物にすらいけないし。買い物の前に風呂にも入れてないし。

こないだ干した洗濯物、何週間取り込んでないっけ。覚えてなーい。

 

とまあ、実にグダグダでして。

 

あ。やっと眠くなってきた。

おやすみ〜。

 

何故かいつもイジメのターゲットになるのですよ

最初のイジメられ体験。

幼稚園です。初めての社会参加で、いきなりです。

 

素手で殴る蹴るされてる間は我慢してましたが、武器(コップ)で殴られた瞬間にブチ切れ、一瞬でボコり倒したのをはっきりと覚えてます。

イジメをスルーしてた幼稚園教諭たち、さすがに私を怒るわけにもいかず、腰抜かして泣きじゃくってたイジメ野郎をたしなめてました。

そして、うやむやにされました。

 

その後の小学生時代前期はイジメられませんでした。

男子とサッカーばっかりやってたから(笑)

そのせいで女子とは喧嘩にはなりましたけどね。

 

「どうしてあんたばっかり男子と遊んでるの! ズルい!」

「仲間に入れてって頼んだんだよ! 遊びたきゃ自分で誘え! 頼め!」

 

で、サッカーに夢中な男子組と、男女混合ドッジボール組に分かれて解決。

とまぁ、一見平和だったんですが、家のほうが大変なことになってまして。

完全に、離人症を発症してました。担任が気付くレベルで。

そして通信簿にその旨が書かれていたにもかかわらず、家の大人共は総スルー。

父親、医者。

母親、看護大卒で専攻は精神科で心理学博士になるために大学院に入るつもりだった。

お前ら、なんでスルーした。気付けよ。

弟妹たちは、小学校低学年で既に非行に走ってましたね。

私はサッカーしてるか、喧嘩自慢の男子に喧嘩売って回るか、どっちかでしたw

喧嘩無敗の最強男子と一騎打ちしたんだゼ! 引き分けた! 俺、強い!

そんなことをしつつも、毒母が毒祖母に張り合って母屋にばっかりかまけて家のことをしないので、家事の大半を担ってましたが。

だから、サッカーも喧嘩も午後4時まで。お買い物に行かなきゃだから。

 

そんでまぁ、母屋の糞がガス栓全開にして火を付けたりとかどうしようも無くなり、弟妹の非行はエスカレートする一方、ということで、突然の引っ越し。

 

小学生時代後期が始まる直前に、悲劇。性暴力被害に遭う。

被害から初登校まで、2日。犯罪現場、転入先の小学校の校庭。

青タンだらけで始業式、引っ越しの自己紹介。

そんな感じで小学生時代後期が始まるわけで。

……この状態でさ、クラスに溶け込むとか馴染めるとか、できるの?

もう、学校という場所が恐怖と嫌悪の象徴なんですけど。

 

転入したのは3学期開始のタイミングで、その時は特にイジメはありませんでした。

方言でからかわれたりはしましたけど。

 

そして、学年が上がってクラス替えがあって、イジメ本番開始。

首謀者は3人だったことが判明しております。

私とほか二人以外が、ひとつのグループになりました。

えっと、だから、敵は17人だったかな。

始めのうちは、わざと聞こえるようにあることないことぶち上げたり、物を移動させたり隠したりと、その程度でした。

そのくらいなら、屁でもねぇんですが。

ある時、階段のてっぺんに足をかけた瞬間、集団体当たりを喰らいました。

4人くらいだったかな。塊になって、ドカンって。

落ちてたら、運が良くて骨折、普通なら障害が残るような損傷、運が悪ければ、誰か死んでる。

そう、落ちてたら。

落ちなかったんです。いつも身の危険を感じていたので、手すりに張り付いて階段昇降していたので、咄嗟に手すりを掴んで受け止めて支えたのです。

 

ちなみにこの記憶、10年ほどパンドラボックスフリーズドライで保管されてました。

思い出したのが、ハタチの誕生日です。

大学へ向かう、山道の途中でした。

部室で先輩後輩全員がビビって震え上がるほど、荒れ狂いました。てへ♥

 

それから、ひそひそ話が耳に入ることはなくなりました。

物が移動したり、隠されたりすることもなくなりました。

その代わり、火のないところに煙をもうもうと立ち上げて、他のクラスにまで碌でもない話を吹き込んで回ったようです。

例はひとつしか知りません。

 

「Aってさ、大学生とか会社員とか、大人の男とヤりまくってるんだよ。何十人もだよ」

 

授業参観のあと、他のクラスの親御さんから「●クラスのAさんがずいぶんひどい虐めに遭ってると聞いたんですが」という話が出る程度には、やられていたようです。

 

担任「そのような事実はありません」

懇親会後の毒母「ウチの娘が登校拒否になったら訴えますからね!」

 

……なぁ、親よ。

味方に引き込むべき担任に喧嘩を売ってどうするつもりだったんだ?

つーかさ。登校拒否になる前に手を打てよ。娘が壊れるまで放置プレイか。

 

このあと、当然ながら担任公認のイジメに発展し、既に詳細は記憶にない。どうやっても思い出せない。

ただ、ひたすらに無抵抗を貫いていたことだけは覚えている。

トイレで囲んでくれたら楽だったんだけどなぁ。取っ組み合いしたことない女子なんか、何人いてもボコれたのに。

地下に潜られたら、独りじゃどうしようもない。

 

そんな感じでクラス持ち上がりで進級した夏休みの前後。

あまりの無抵抗っぷりに「Aって、●●たちが言ってるようなヒトじゃないんじゃない?」とグループでも端の方の連中が交換日記(そういう時代でした)でやり取りをしていたらしい。

それをうっかり廊下に落とし、拾った担任が「このような事実はありません。誰も虐められてません。わかりましたね」と脅しととかなんとか。

 

なんでこんなことを又聞きとは言え知っているかと言うと、淡々と登校し、真面目に授業を受け、休み時間には一人静かに読書に励む。

その姿と「噂」が噛み合わない、おかしい、と感じた中心勢力から外れたグループが、前述の「大人の男と〜」を例に上げて「本当にこんな事してるの?」とぶっちゃけに来たからです。

 

「……? ……それ、どこのAさん?」

 

はい。素で返しました。いやだって、そんなの自分のことだと思いませんよ。

男性恐怖症でしたからね。特に大人の男はダメでした。視界に入るだけで硬直する。

この瞬間、勢力図がひっくり返りました。

翌日から私はクラスの中心人物になり、虐めの中心だった3人が無視されるようになりました。

オートマトンだった私は、いくつかの事実確認をしたあと、つい昨日まで敵だった連中の謝罪を受け入れ、和解することにしました。

味方じゃなくていいの。敵じゃなければそれでいいの。

これが、小学6年生の2学期の出来事でした。

 

そんな感じで表面上は水に流すことにしましたので(無論、許したわけではない)持ち上がりの中学では問題は起こらないと思っていたんですが。

 

すっげー仲良くしてた、親友だったはずのヤツが、ある日突然、仇敵に。

いやもう、わけがわからんかったよ。

突然、全方位から無視されるんだもの。村八分

とはいえ、既に経験済みのこと。考察する余裕を取り戻すのは早かった。

 

その元親友の仇敵、コンプレックス多い子だったのね。

つか、そいつが「こんなの嫌。もっとああだったら、こうだったら」ということの殆どが、私にとっては羨ましいことだった。

だからいっつも「えー。じゃあ頂戴。私にそれちょうだい。私はそれが欲しい」励ますと言うより、マジで言ってたんだわ。

そしたらある日突然、ヤツに自信が芽生えた。

すると、目障りなのは何か。

 

情けない姿をたっぷりと見せた、私。

 

で、即座に排除に動いたと。そういうわけなのでした。

これもすごかったね! 学年中にあっという間に広がったね!

小学校から持ち上がりが8割を占める中学だったから、下地は出来てたしな!

 

でも友達はいたんだ。

学内屈指のヤンキーたちと、生徒会の連中。

どっちも「普通」の生徒たちからは敬遠されるから、仲良くできた。

そのせいで噂が加速して、学年内でとどまらず、学校中に広がってしまった。

 

「裏で総番張ってるのはAさんッスよね!」と。

 

ちげーよ! 上下関係なんかねーよ! 対等な友達だよ!

そして、この頃から私にビビる大人たちが現れ始める。

学内屈指の虐められっ子にして優等生にビビんなよ、教師。

かわいがってくれる先生もいたけどね。アル中とか学内不倫略奪婚とか、問題だらけの教師たちだったけど(笑)

 

高校は、ミッション系の私立女子校。そして指折りのお嬢様学校。

ここではね、生徒には虐められなかった。何故ならば、非常に貴重な珍獣だったから。

学年の半分は、中学からの持ち上がり。残り半分は、家柄を厳選した指定校推薦。

そして10名ほどの、外部一般入試組。

そう。一般入試組だったのです! モテモテでした!

モテすぎたあまり、セレブを超えるハイソサエティなグループに拉致られ、ペットにされましたが。

そのせいで珍獣価値がますます上がり、更にモテるというスパイラル!

それが気に入らない副校長(修道女)にめっちゃ嫌われてました。

てゆーか、多分、虐められてた。と、思う。

この頃には虐められすぎて感覚がおかしくなっちゃってて。

 

敵はひとり? ならイジメじゃないな。喧嘩だ。よし、買ってやる。

あいむうぃなー。イェーイ!

 

なんかね、絶対に逆らっちゃダメとか、怒らせちゃダメとか言われた相手なんだけど。

こっちはちゃんと教師たちに敬意を払ってるのに、難癖つけて喧嘩売ってくるんだよ?

これ、買えって言ってるよね? 売られたからには買うのが礼儀だよね?

てことで、喧嘩としてカウント。イジメではありませんでした。

 

まあ、なんか、割と偏った思想の持ち主で、独善的で、副校長という権力があるだけにちょっと問題もあったみたいで。

「ふふ。大変ね」と笑いかけてくるシスターとか「あなたは素晴らしい方よ」と絶賛してくれるシスターとか、パワーバランス的にはカオスな高校時代でした。

 

大学。

部活がカオス。

ここでも虐められてたらしいんですが、教えてもらうまでまったく自覚がありませんでした。

部内でもアンタッチャブルな恋愛四角関係。

そこに知らない間に巻き込まれていたらしい。

 

「お前、偉いなぁ。あんなにイジメられてるのに耐え続けるなんて。何だったら部長権限でなんとかするぞ?」と女人禁制飲み会で言われまして。

思わず「え? イジメなんてあるんスか? 皆仲いいッスよね?」と問い返してしまいました。

そう。相手は全力でイジメていたのに、私は気にかけてかまってくれる優しい先輩だと思っていたのです(大笑)

だってさー。部活動のあと、色々吹き込んで他の部員と仲良くさせないようにする、てのがそのイジメの手口だったんだけど。

男5:女1の部活で、私だけ毎回女人禁制飲み会に参加してるんだもん。

先輩の全力、全く意味ナシ。

何故私だけが女人禁制飲み会に参加していたのかといいますと。

 

「お前が女なのはガワだけで中身は俺らと同じだからな」

 

というのが理由でございます。

数少ない女子部員のスリーサイズとカップサイズを目測して楽しんでました(ヲイ)

それは置いといて。

「大丈夫か? 無理してないか?」と同志達がとても心配してくれましたが。

相手がひとりなら、ただの喧嘩です。

押し売りしているとわかったからには、買わねばなりません。

 

「全然オッケーっす。近々、片付けますんで」

 

勝負開始。

五秒経過。

あいむうぃなー。

 

翌日、先輩が涙目で「Aちゃんに嫌われたぁぁぁーどうしよぉぉぉ!?」と部員に泣きついて回ったらしいです。

皆、自業自得だと半笑い。

 

虐めではありませんが、大学時代のカオスはここからが本番でした。

そう。ストーカー。

しかし「ストーキング」という概念が輸入される前の時代です。

更に、私にとって不利なことに、非常に男にモテるヤツでした。

色々ありました。大変でした。味方がいませんでした。

ギリギリのところで、ストーキングの概念が輸入されて、敵が味方になりました。

その頃にはヤバすぎて見守るだけで精一杯、て感じでしたが……

まぁ、あれやこれや、なんだかんだで、なんとかしてなんとかなりました。

虐めより怖いよ! 「男女関係」はダメなんだよ! PTSD直撃なんだッ!!

あれほど死力を振り絞ったことはない。

 

就職してからもパワハラとかモラハラとかセクハラとかあったけど。

高校以降はノーカン。

なんかね。敵が5人以上なら虐め、それ以下なら喧嘩、という変な感覚になってて。

敵がひとりで他が味方してくれるなら、喧嘩を買う必要もないしなーとか。

大人になるとさ。見てくれるヒトはちゃんと見てくれたから。

それで充分だなって。そう思うようになっていった。

 

アレだ。女王蜂タイプ。

そいつらにタゲられるんだわ。今風に言うとマウンティングだったんだろね。

普通は女王蜂同士でドンパチやるんだろうけど、こっちはやる気ないから。

一方的なイジメに発展してしまう。

相手は自分の座を奪われると信じ込んでるから。

あと、女王蜂に見えるのに独りで平然としてるのも気に入らないらしい。

蜂だけに群れないと許せないらしい。

 

あー……これ関連で侮辱されたこともあるな。

そのあたり、病気も関係あるんで、またいずれ。

 

 

わたしは人格を持つ個人ではなかった

毒母は、私のことを「自分の外付け便利装置」として扱ってました。

人間ですらなかったのです。

ただの、部品です。

部品は生き物じゃありません。

当然、人格もありません。

 

私が曲がりなりにも人格らしきものを持っているのは、全て、書籍類から得たものです。

周囲の人間との関係から築き上げたものではありません。

故に、本の虫となり、乱読し、パーツをかき集めて自分を作りました。

 

毒母は、私のために月に1万円使うのも嫌がりました。

妹たち、弟には、週に1万以上かけても嬉しそうで楽しそうでした。

誇らしげですら、ありました。

 

「アンタはお姉ちゃんなんだから」

「下の子たちのことを考えて」

 

全て、これで片付けられました。

 

私の希望はことごとく却下しても、弟妹たちの希望はほぼ全て叶えていました。

そして、言うのです。

 

「お母さんはね、子供たちみんな、平等に育てたから」

「お金の苦労なんか、させたことないから」

 

はーい、間違ってまーす。

 

私は「お金がないから国立理系なんて許さない。下宿なんてもってのほか。家から通える大学しか認めない。浪人? そんなお金ない」と言われました。

 

妹は音大に入るために、1万5千円のレッスンを毎週受けてました。

そして音大に行き、ヨーロッパに留学し、大学院にも行きました。

数十万、時には100万を超える楽器も、買い与えていました。

 

もうひとりの妹は、短大を出たあとに「やっぱり4年制の資格が欲しい」と言い出し、2年で済むはずのカリキュラムに4年かけました。

就職してからの一人暮らしの家賃も、親が出してました。

私は毎月、家に金を入れさせられましたがね!

 

弟は、浪人して、下宿して大学へ行きました。

もちろん、全ての費用は、親が出しました。

 

ちなみに大学生時代、家から通学していた妹たちの定期代は、親が出してました。

私は、自分で出してました。

「なんで私の定期代だけ、自分で払うの?」と聞いたら。

「アンタの大学は家から近いでしょ」と答えが返ってきました。

妹の通う短大は、もっとずっと家から近かったです。

 

どこが平等なの?

私の希望は、ほとんど全て、却下され続けたよ?

なんで、下の子供たちの希望は全て叶っているの?

大学を卒業したら、家にお金を入れるのは当然だって言ってたよね?

他の3人は、1円も入れてないよ。入れてたのは、私だけだよ。

 

知ってるよ。

弟妹の学費や生活費が足りなくなった時、私が家に入れてたお金を使ってたこと。

そりゃ、当然だよね。

中学生の頃から、私のお金は他の家族のためのお金だったんだから。

いや、違ったね。

通帳を親が管理してた、小学生の頃からだったね。

 

「お金の苦労させてない」とか厚顔無恥にもほどがある。

馬鹿が! 脳みそウジ湧いてんだろ!

 

こんなエピソードもある。

 

妹のひとりが、大学生の時にホステスのバイトを始めた。

話を聞いてみると、タチのいい、上品な店だった。

でも、毒母は、取り乱した。

 

「水商売なんてとんでもない! どうしたらいいの。どうしたら辞めさせられる?」

 

その口で、私に向かって言いました。

 

「アンタがするのはいいのよ。好きにしたらいい。やりたかったらやりなさい」

 

そしてまた言うのです。

 

「ねぇ。どうしたらいいと思う? 早く辞めさせないと」

 

これらのやり取りのことは、当然ながら、毒は覚えていません。

ちなみに実際は、もっと酷いことを言われています……

「アンタなら男転がすなり騙すなり、どうとでも出来るでしょ」的な……

私、性犯罪被害者なんですけどね……

しかもその当時、ストーカーとギリギリの攻防を繰り広げていて、それもちゃんと報告してたんですけどね……

ストーカーが部活の先輩で、マジでヤバイところまで来てて、部活のメンバーも青ざめながら見るだけで手出しできないぐらいヤベェ状態だったんすよ……

 

「え? お母さん、そんな事言った? ウソぉ〜(笑)」

 

私は部品ですから、独り言と区別がつかないのでしょう。

 

毒は幸せだな!

 

まぁ、毒父の実家の離れに住んでいた頃に色々ありましたので、弟妹たちにも結構大きなトラウマがあります。

末弟に至っては、その頃の記憶はほぼ全てありません。

妹たちも、つい数年前に、ようやく心の整理が付いたばかりらしいです。

 

そういう情報を得ましたので「ようやく私の番が来た」と。

毒に過去に何があったかをぶちまけました。

というか、ぶちまけようとしている途中で、毒が拒絶反応示して逆ギレしました。

 

さすがにそれは親としてどうよ。下の3人だけ心の整理が付けばいいのかよ! と。

私も怒りに火が付きまして。

3日ほど、親に説教しました。

 

「頭が痛いからもうやめて!」

「じゃ、続きは明日な」

 

そんな感じで。

もう、こりゃダメだと。

何を言っても無駄だと。

肝心の酷い言動は、全て美化変換してるか忘れてるし。

 

で、夜逃げしようと準備してたら。

 

「家を出るなら、ちゃんと相談しなさい」

 

ホラーだよ! リアルサイコホラーですよ!!

 

家の中だけでもこれなのにさ。

外に出るとイジメの集中砲火だぜ?

なんで希死念慮が欠片もないんだ、自分よ。

全包囲、敵じゃねーか。

よく耐えられたな?

 

はい。

人間じゃなかったからです。

物ですから。物品は死のうとか生きようとか思いませんから。

ただ、そこにあるだけです。

 

で、人間になりかけたところで不意打ち喰らって、目出度くメンヘラに。

 

自分でもびっくりしたよ!

人間って、こんなに脆いのかって!

人間じゃなかった頃なら、余裕で耐えられたのにって!

 

オートマトンだったからね。

大抵のことには対処できたし、耐えられた。

 

生身は、脆いね。

それが、人間なんだね。

 

もっと違うことで、人間であることを実感したかったよ……

 

 

さて。

紐付き援助付き一人暮らしの条件。

これから毒共に顔を見せに行ってきます。

 

帰ってきてからもなんか書くかも。

 

 

祝★ゴッキー退治と座椅子復活!

おひさしぶりっすー。あゆむでッス★

 

春頃にベランダから侵入してきたゴキブリの幼体が、大きくなってました。

罠をずっと仕掛けていたんですが、全く捕まらず。

逃げたのかな〜? と思ってたんですが、ウチにいました。

 

復活させた座椅子でくつろいでる時に、のんびりとやって来やがったので、叩き潰しましたYO!

 

ゴッキーといえば、黒々として脂ぎってて肥え太り、素早くて時には飛び……というイメージですが。

どうやら、成長はできたものの、栄養失調だった様子。

色は薄い茶色で、薄っぺらでした。動きも遅かったし。

 

住人が一日一食、食べるかどうかだからね!

食糧の買い置きは米のみ。それも冷蔵庫の中だし。

ゴッキーも食べるものがなかったろうよ。

とっととウチから逃げ出せばよかったのに。(・д・)チッ

 

座椅子はダメ元でカバーを被せたら、かろうじて復活しました。

メッシュだけだと臭いが染み込むので、使ってないタオルケットを巻いてます。

メッシュより肌触りも良くて、これでいいや。

フレームがちょっと錆びたから、角度いじる時に軋むけど。

 

ところで、やべぇレベルの発作とか幻視とか、最近色々あったわけですが。

あ、寝込むのはデフォです。

せっかく毒から離れたのに良くならないの? なんで? と思ってたんですが。

 

違いました!

 

あるべき姿に、ようやく、自然体でいられるようになっただけだったのです!

そう! 病気なんだよ! 病人なんだ。就労不可能レベルで病んでるんだよ。

色々と症状があって当たり前なんだよ!

 

これがね。恐ろしいことにですね。

家族がひとりでも近くにいると、病人でいることが許されないんです。

そういう洗脳支配を受けてたんです。

パブロフの犬ですよ。条件反射で健常者を装うのです。

 

毒から離れて一年。

理想の長女でいなければならない、という呪縛から、ちょっぴり抜け出せたんです。

傍目には悪化してますが、元々、このレベルで病んでたんですよ。

ここに来てやっと、症状を素直に表に出すことが出来るようになっただけなんです。

 

洗脳支配による管理、病人が症状を見せることすら許さないとは、なんと恐ろしいものなのか……((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

 

 

コレに突然気付いたのが

togetter.com

上記でメンタルヘルス関係とか毒親関係とか、ボーッと流し読みしてた時。

 

年齢一桁で「大人の女」だったよね、と、いきなり降りてきまして。

そこから「病気で当たり前じゃね?」「おかしくならない方がおかしいんじゃね?」と連鎖反応的な感じで。

 

これ以上頑張って書くと、またヤベェ発作が出るかもだけど……

もうちょっと書いてみるかな。

 

座椅子が猛烈に臭い。そしてお亡くなりに。

座椅子に座ってるとですね。臭いんですよ。

運動部の部室と言うか、洗ってないスニーカーの臭いと言うか。

 

あんまり臭いので、先程、突発的に洗ってみました。

 

結果。

 

中身のスポンジがボロボロになって終了。

お亡くなりになりました。

 

はい。スニーカーも臭いです。

洗います。

ハイターで臭い取れるかな。

 

すげー安い座椅子で、カバーが洗えるというので買ったんですが。

そのカバーがメッシュなので、臭いが中のスポンジに染み付いたようです。

 

その臭いの元はわたくしの足なんですが!

 

脂足なのに、お風呂、入れないですからね。

でも今月は頑張った。

浴槽に浸かること一回、シャワーを浴びること三回。

 

なんと、合計四回です! 新記録!!

 

……8月なのにね。

そりゃぁ臭いはずだわ。

 

たった今、洗剤液にハイターをぶち込んで、スニーカーを放り込んできました。

一晩浸け置きすれば、かなり臭いも取れるはず。

 

座椅子、どうしようかな。

なくてもいいっちゃいいんだよね。

 

どうしても欲しくなったら買おう。

それ以前に、お亡くなりになった座椅子、どうやって捨てようか。